08.4.6
どれだけ速報として役立つかなぁ。
嵐に遭い船が難破してしまった。二木司、中道心、竹ヶ原裕の3人はやっとの思いで、ここラボランドに流れついたのであった。 果たして脱出できる日はいつなのか?

<にこにこノート> 「なんだろうこれは・・・日記か?」Renew!8.16

2002年7月19日
僕は中道心(なかみちこころ)
和歌山生まれの日本人。
これから紹介する僕の日記は、
普通の会社員ではけっして体験できない冒険の記録です。

2002年7月19日
僕たちは昨年の冒険記録を読み返してみた。


2002年8月21日
一昨日は松原市、昨日は川西市、それから和歌山市に帰り、今は泉南市。これからは明石市に行く。まだ漂流中の私でした。親戚周りも大変です。キャンプの様子を適当にお届けしますので今しばらくおつき合い下さい。
最高記録が出て無事卵が茹で上がりました。(5班)
コーチによるイモ食い競争
5班の3日目、本部では24本の木の枝パンを焼きました。たいへんやった。

2002年8月19日
ただいま関西に帰省中。もっと暑いかと思ったけれど少し涼しくなったかな? まだまだ写真があるのでもうしばらく日記は続きます。ファミリーキャンプその5その6その7その8

2002年8月16日
東京はなんて暑いんだ。あぁ信じられない。ラボランド島での懐かしい日々。もうしばらく振り返ってみようっと。まずはファミリーキャンプからいきましょう。その1その2その3その4

2002年8月14日 午前10時30分
つっ、ついにここから脱出する日が来た。7月19日に漂着して26泊27日。中身は2年間に匹敵するやもしれぬほど、超多忙な日々であった。私たちは毎日カレンダーに×印をつけてこの日を待っていたのだ。また次に漂着する人のために太郎丸洞はきれいに片づけた。さらば、僕たちの島!

2002年8月10日 午後2時
ファミリーキャンプの入村が始まっています。車で来られる方も多いので、下駐車場がほんとの意味で駐車場になります。約440名の参加者です。開営式の様子と併せてご覧下さい。

黒姫キャンプのお食事を一挙公開!!

2002年8月7日 午前5時
5班の黒姫登頂がまもなく出発。登頂隊はどんな食料を持っていくか知っていますか?結構な量なのです。朝飯と昼食を両方持って行きます。その他着替えや水筒もあるし、装備はきちんとしないとね。もちろん天候によって装備の重要性が変わってきます。

2002年8月7日 午前0時
あぁ、もう眠い。すでに5班が始まりました。5班なのに漂流者の数は868名もいるのだ。すごい数です。韓国ユースも参加しているキャンプです。スペシャルロッジもあるし、ファミリーキャンプも5班のあとにあるし、多彩なCブロックです。

2002年8月4日 午後4時ごろ
第4次漂流者も815名の大所帯となりました。漂着時にパラッと雨が降りましたが、歓迎の会(開営式)もなんとかできました。いつものことですがいろんなmeetingが行われ、野外活動のセレクションが行われます。我々二木司と中道心は第5次漂流者を迎える準備に入っています。

2002年8月3日 午前8時半
ただいま3班の漂流者867名が帰路につきつつあります。3班の野外活動の様子をちょっとご報告しましょう。そうそうラボランド湾にスイカも漂着したんだが、一人の死体も流れ着いたらしいとの報告もありました。たいへん安らかな顔だったらしい。あともうひとり漂流生活に疲れた方ありました。

2002年8月3日 午前7時前
「みやま」捕まえた!」とラボっ子が太郎丸にやってきた。「なにー」とどどっとその子に駆け寄ったコーチたち。「どっ、どこで捕まえたの?」と興奮気味に質問したら、「網戸にひっついてた」とのこと。「あっ、あそう」

2002年8月2日 午後12時すぎ
ただいま3班の3日目プログラムが展開中。こどもたちは必死になぞなぞを解いて食料を探し回っています。写真は1班2班のものを紹介しますね。まずはその1その2その3その4、その5

2002年8月1日 午後4時すぎ
1班よりは暑くなく、2班よりは少し暑いといった天候。3班もほとんどの野外活動も終わってあと黒姫登頂隊と苗名滝コースの帰りを待つだけ。私たち2人とランスは少し休憩しつつ、でもいろいろ3班のお手伝い。シャドーキャビネット(影の内閣)として活躍中。
2班の野外活動の「太陽を感じよう」「風とあそぼう」の写真をアップしました。野尻湖コースもアップしたよん

2002年7月31日
第2次開拓者たちに太郎丸を引き渡した。その前に大掃除をしたんだ。その様子を記録しておきます。

あっ、そうだそうだ。先日ラボランド湾を散歩しているとまたまたメッセージの入った瓶が漂着した。中をあけてみると手紙と写真が入っていたのだ。南半球の国からのものらしい。

2002年7月31日 午後9時
2班の893名の漂流者たちも故郷に帰った。Aブロックの第一次開拓者たちもここを跡にした。私たち2人を残して。今第2次開拓者たちが太郎丸に住みついている。新たな漂流者たちも860名ほど流れ着いたとのこと。

2002年7月29日 午後11時前
やっと1班の写真を少しお届けします。夜にカブトムシやクワガタを捕まえるために餌(バナナを赤ワインで煮たもの)をしかけて、翌朝見に行くと・・・。

2002年7月29日 午前7時すぎ
いやぁー助かった。893名の漂流者が漂着したのだが、なんととても涼しい。昨日の午前中までは暑かったのだが、みんなが到着したとたん気温がぐーんと下がった。歓迎の舞(開営式)も非常に快適でした。寝るときも涼しくてよかった。よかった。

第2次黒姫登頂隊も無事出発しました。参加者は35名です。(NEW!! 8/1)

2002年7月28日 午後11:30すぎ
本日2班が始まりました。あぁーでもちょっとハードじゃぁー。まだ漂流生活はつづく・・・なかなか写真を含めてアップできない。2班が終われば、まとめてアップできるかなぁ。

2002年7月28日 午前7時前
昨日船出した721名の漂流者は、無事それぞれの故郷に着いたらしい。よかったよかった。とっ、ところが!本日また新たな漂流者がここにつくらしいという情報があった。それもなんと900名近いこどもたちが! 無事にたどりついてくれるといいのんだが・・・

2002年7月27日 午前6時前
あっという間に4日が過ぎた。昨日は本当に目がまわるような忙しさだった。大統領も運営コーディネーターもファイヤーキープするというファイヤーだった。詳しくはまたアップしましょう。本日は721名の子どもたちが船出する。

2002年7月25日 午後6時
黒姫登頂隊がたった今帰ってきました。新コースになって第1回目登頂者23名。朝6時前に出発して、ちょうど12時間。お疲れさまでした。写真は残念ながらございません。

2002年7月25日 午後1時
なんて暑さだ。うだるような暑さ。この日を探検にしたのは問題かも。ホント今日は医療棟に行く人が多くなるかもしれない。水分補給をきちんとしなければね。
太陽エネルギーを使ったソーラークッカーもなんとか温泉卵ぐらいは作れた模様。

2002年7月24日 午後4時すぎ
なんとラボランド島に721名のこどもたちが漂流してきた!!! 我々先住民は大喜び。歓迎の意を表してテーマ活動の舞を披露した。ようこそ僕たちの国へ。

2002年7月24日 午前11時すぎ
円形劇場が出来た。やはり娯楽がすくないここでは劇場は必須。みんな本日午後4時ごろ上演予定だよ。そうそう、火事が起きたときに備えて消化訓練もしちゃいました。でもその前に火事を出さないように気を付けましょう。(まあほとんど火はロッジ内で使いませんが)

2002年7月23日 午後3時くらい
暑い! とにかく暑くてムシムシするよ。それなのに火おこしの練習。でも野外生活では欠かせないスキルだよね。そしてもう一つ大事なナイフワーク。ナイフが正しく使えるようになると野外ではこれほど重宝するものないからね。

2002年7月23日 午前中
新しい48人の仲間は、ラボランド内を探検し始めた。なかなか芸術的な活動をする人たちもいたよ。いいね、実にいい。

2002年7月22日 夜
新しい仲間が漂着した。なんと48名。やあ、だんだん我々が漂流者ではなく開拓者の気分になってきました。どんどんここに移民してくる人が増えればいいですね。しかし、それにしても暑いなぁ、ここは。

2002年7月22日 午後3時ごろ
苗名の滝の下流、関川を発見した。(黒姫野外活動新コースです)

2002年7月22日 
本日より野尻レイク近辺まで探検なので、しばらく更新できません。お待ちを。

2002年7月21日 午後5時半ごろ
大雨だ。やばい外に出しているものを片づけろ!

2002年7月21日 午前中
本日の作業は、我々がもう漂流者でなくこの地の開拓者である証を立てようということで、旗をつくろうとしています。もちろん昨日のロープ処理の続きや他の作業もあります。

2002年7月21日 午後8時58分
新しい仲間がまた増えた。朝3時半起き、4時半出発で東京から黒姫まで漂流してきたらしい。ラボランド着が午前9時前。お疲れさんです。こんな生活はあまり慣れていない二人なので、早速修行に入った。まずは荒縄を編む作業。二木司さんの指導のもと、せっせと編む二人です。

2002年7月21日 午前7時
ぐるんぱ湾を散歩していたら、メッセージらしきメモが入ったガラス瓶を見つけた。それによるとなんと、瀬戸内海にある平郡島というところにも僕たちと同じような漂流者が生活しているらしいとのことだった。お互いにいつ帰れるかわからないが、希望を失わずにがんばっていこう!とメッセージを書いて瓶に入れ、海に流した。彼らの元に届くといいのだが・・・

2002年7月21日 午前5時45分
なぜこんなに朝が早いかというと、眠れないんだ。なぜ眠れないかって? だってうるさいんだ。竹ヶ原裕の奴の<いびき>が!! 昨晩もかなりの騒音に寝不足ぎみだったのに!! 耳栓を手に入れなければ・・・。奴は結婚しているとのことだが奥さんは大変だなぁ。

2002年7月20日 午後10時30分
最初に流れついた3人のうちの一人、竹ヶ原裕(たけがはらゆたか)も日記を書き始めたようだ。見てやってくれ。

2002年7月20日 午後8時ごろ
急に雨が降ってきた。すごい雨だ。やはり雨具はきちんと用意しなければ。野外生活にはやはりロープは必需品。ロープを上手く使うにはちょっとした知識が必要だ。

2002年7月20日 午後1時すぎ
新しい仲間ができた。10人の若者が(一部中年?)ラボランドに漂着した。若い若いと思っていた我々3人もいつの間にか歳をとってきていたので、若い仲間が増えたのは頼もしいかぎりである。

2002年7月20日 午前11時すぎ
ここラボランドというところは、結構暑い。手元の温度計では30.9度を指している。そうそう昨晩はホタルを発見した。見つけた二木司さんは「すげぇ、乱舞していたぜぇ」と言って、1匹捕獲してきた。

2002年7月20日 
僕たちは難破した船から役に立ちそうな本を持ち出した。なかなかいい図書コーナーになった。(実は、林、道上二人が持参してきた書物一覧)

2002年7月19日
上陸した3人はまず住む場所を探した。するとかなり古いが、なんとか生活できそうな小屋を2つ見つけた。僕たちは1つを「太郎丸」もう一つを「かみなり」と名付けた。